淡路島の古民家での暮らし方_File13

2014.2.2

Researchの概要

調査日2014年2月2日

File13 灰谷 孝 Haitani Takashi 灰谷 佑季 Haitani Yuki

灰谷 孝 Haitani Takashi
1974 神戸市生まれ
1996 卒業後会社新として心身の不調を抱えながら10年はたらく
2006 独立し、ブレインジムと出会う
2011 妻と9ヶ月間キャンピングカー生活しながら日本全国行脚
2012 日本一周中に出会った淡路島に移住、おのころハウスオープン

灰谷 佑季 Haitani Yuki
1978 東京生まれ
2011 ブレインジム全国行脚を開始するため外資証券を退職し、9ヶ月間キャンピングカーで日本をまわる。途中夫と入籍。
2012 淡路島に移住
2013 母屋の隣の元線香倉庫を改装し『おのころハウス』をオープン

1. ブレインジム

1月の終わり、雨上がりの午後。伊弉諾神宮から車で数十分。雨の香りが車内にも染み込んでくるような里山の風景にかくれるように今回の取材先はあった。道を入ってまずぱっと目に飛び込んできた、おおきく立派な木の壁。母屋の前に大きく据えられた元・線香工場の建物には「おのころハウス」と書かれた看板。扉が開き出迎えてくれたおふたりの穏やかな空気におもわず小学校の先生を思い出した。灰谷さんご夫妻はプレインジムのインストラクター。「プレインジム」とは、発達障害の子どもたちなどを中心に、さまざまなメンタル面の障害を体を動かすことによって克服する教育プログラムのこと。ここに移り住んだ後もブレインジムの伝道者として日々全国各地をめぐる孝さんに代わり、改装した線香工場を「おのころハウス」として講座や個人セッションなどを行いながら佑季さんが家を守る。

2. 「おのずからかたまる」

だめだと思ってもなかなか直せない自分の癖や性格は、誰にでも心当たりのあるもの。だからブレインジムは障害のある方に限らずすべての人にとって効果のある方法なのだと孝さんは言う。元々、働く人などのメンタルコーチなどを務める中で筋肉と感情のつながりを感じていたが、はじめて参加した講座で、子どものころからどうしても食べられなかった椎茸が食べられるようになったことに驚いたそうだ。「感情はかならず筋肉のどこかに出ているんです。僕が椎茸を食べられるようになったのも、おでこのあたりに触れるだけのポジティブになるエクセサイズを試したとき。ほら、怒っているときや悲しい時、額に力が入って皺がよるでしょう。その筋肉に触れて緩めるんです。体からアクセスしていくと、びっくりするくらい自分が変わるのが分かります」 そんな話を伺っていると、想像以上にヒトの心と体はダイレクトにつながっているのだなと興味がわいてくる。「 プレインジムでは私たちが目標を指し示すのでなく、その人自身が自分の変化に驚きながら変わってゆける。だから広めたくてインストラクターに」と佑季さん。自ずからカタチになる・・・ 漢字で「自凝 (おのころ)」と書く、この場所の名の意味がじんわりと感じられてきた。

3. 出会い

3年前、日本一周の旅の中でふたりはこの島に強く惹かれたという。孝さんの好きな海と、 佑季さんの愛する山川の両方がある淡路島。「ブレインジムの普及をめざす旅だったけれど、同時に住む場所をさがす旅でもあったんです。だってそのときは車が家でしたからね」と笑う孝さん。その後も淡路島の強い印象を越える土地はなく、9ヶ月間の旅を終えた後は毎週のように島を訪れたそうだ。リコミンカで紹介させていただいた物件が契約の直前に思わぬ事情で破談となってしまったときも、「そうか、違うんだなと。 何か意味があるんだと自然にそう思えた」という佑季さん。そのときはショックで頭が真っ白になったけれど「今から考えれば絶対にこっちですね」と孝さんも頷く。そうして2人は線香工場のある家に出会う。なるほど、世の中ってうまく出来ている。

4. おのころハウス

「おのころハウスは線香工場があったから生まれたんです。それまで講座は公民館のような場所で開催すればいいと思っていました。でも、場所があると全然違うんですよね」 とくに繊細な子どもたちにとって、人と場所、どちらかがダメだと全く受け付けないそうだが、「ここだとみんな帰りたくなくなるのが逆に困ったところかな()」 見せていただいたおのころハウスは、かつては1階でつくった線香を2階に干して乾燥させるために、建物の壁全体は手でスライドしてスリットをひらくことができる「ベカコ (無双窓)」というつくりになっている。そんな珍しい建物に触れられること自体が嬉しかったと、リフォームした平松さんも満足げ。飛んだり跳ねたり走って回るには十分なスペースと、ベカコの隙間から差しこむ光と里山の風景。まるで外にいるような開放感には、子どもばかりでなく、大人の腰もなかなか上がらないだろう。この心地よい空間は講座やセッションだけでなく、毎週水曜日には「おのころカフェ」というフリースペースとして開放もしている。「今って遊んでいない子が多いんです。僕たちが子どものころは田んぼで走り回ったら済んでいたことが、現代には思いっきり遊ぶ場所がなくて、それが色んな不具合になって生じてきている。だから、 おのころハウスでは危険なこと以外は何をやっても自由。ここでちゃんと遊んでほしい、心からリラックスしてほしくて」 実は、子どもたちで集まって遊ぶことが、専門的に見てもどんなセッションより遥かに勝るのだそうだ。心も体も育てる、子どもの一番の仕事はやっぱり「遊ぶ」ことなのだ。

5. 秘密基地のはなし

取材中、平松さんに「ちょっといいですか」と孝さん。敷地内の大きな樹にツリーハウスをつくりたいという新たな相談だ。ここに秘密基地をつくりたいと語る孝さんの瞳は、子どもたちに負けないくらいキラキラとしている。おのころハウスの屋内にとどまらず、そこから伸びるツリーハウス、そして近くの農家さんのミカン畑、竹やぶや山まで野外を使ってワークキャンプのような滞在型の企画を実施することがこれからの灰谷さん夫妻の目標。淡路島にやってくるとき、馬と暮らすことが夢だったという 孝さんは、現在、五色ホースクラブに時間を見つけては通い、ホースセラピーについて学んでいる。「馬は人にとって特別な癒しの動物。おのころハウスも一方的に癒すのでなく、癒し合いの場所にしていきたい」 ホースセラピーとブレインジムのコラボレーションは近々目にすることができるかも。自称・妄想家という孝さんの話を伺っているだけで頭の中、おのころハウスがぐんぐんと膨らみどんどんと広がってゆく。

6. recomincaに一言お願いします!

リコミンカのことをあちこちで宣伝しているという孝さん。「実は僕、人口分散化計画をひとりでやっているんです()。淡路島は本当にいいところだけど、新しく移り住む人にとってはまず、仕事と住むところ。ここも、あそこもと空き家はよく見かけるけど、探すとなかなか難しい、そこを発掘し光を当ててくださる平松さんの仕事を本当に応援しています。僕たちの淡路での暮らしもリコミンカから始まっているので」
分散化計画は初耳だった佑季さんにとってもリコミンカの存在は大きかったそう。「 家が決まる前からもサイトを見ていて、淡路島にくらすのが楽しみになりました。私たちの周りにも東京に暮らしながらも、そこでずっと生きて行くことがイメージできない人は少なくはなくって。そういう人たちが夢やイメージから育てていけるようなページをこれからも作っていっていただきたいです」 作ってよかった、と嬉しそうな平松さん。「これからもがんばります ・・・ で、まずはツリーハウスつくりましょうか」「え! いいですか。 やったー!!」とまるで子どもみたいに喜ぶ孝さんの隣で「よかった平松さんが助けてくれるなら安心」と心底ほっとした様子の佑季さんは、やっぱりやさしい先生のようでした。

Open Hours

Architects

  • open hours9:00~19:00
  • closeSun, Holiday
× ×

Cafe

  • open hours11:00~17:00
  • closeSun - Thu
× × × × × Δ
最新の営業情報はinstagramをご覧ください。

Access

  • 〒656-0002
  • 兵庫県洲本市中川原町中川原555

Contact