淡路島の古民家での暮らし方_File08

2013.1.30

Researchの概要

調査日2013年1月30日

File08 北島庸行 kitajima nobuyuki

1964年 兵庫県神戸市生まれ
1989年 武蔵野美術大学 工芸工業デザイン科インダストリアルデザイン専攻卒業
株式会社松山入社 家具内装デザインの業務に就く
1991年 ドイツブレーマーハーフェン駐在
ヴァーリングス社(家具メーカー)に出向勤務
19932級建築士免許取得
1996年 株式会社松山退社
木工家 早川謙之輔(岐阜県 杣工房)に師事
1997年 兵庫県篠山市にてatelier KIKA(アトリエ・キカ)開設
2001年 淡路島に住居、工房を移転

1. 原体験

淡路島の中央に位置する洲本市五色町鮎原の小山田地区に越してきて12年の北島さん一家。賃貸の古民家から引っ越す為に3年間土地を探していた中、工務店の繋がりで現在の土地に巡り会った。2級建築士の資格を持つ北島さんは自ら家の設計、施工にも携わり、木製のサッシも自作。近くの仮住まいから半年間通い、作業を進めて自宅、工房、ギャラリーが完成した。開放感のあるリビングには薪ストーブ、日差しが差し込む大きな窓の向こうには自家菜園とたわわに実ったレモンの木が見える。「ロフトに階段もつけたいけどなかなか手がまわらなくて。いまだに脚立で登ってるねん」 と北島さん。家の完成までがあまりに大変だったのでそれから自分で手を加える気になかなかなれないらしい。建物の話題も一段落、出身地から順に話してくれる北島さん。なんと5歳のころ、父親の仕事の都合で1年半アルゼンチンで過ごしたという幼少時代の貴重な体験 が。「まだ小さかったので多くの事は覚えていないけど、まわりは180度地平線が見えるような大草原で何も無いところに住んでいて、そこで多感なころにのびのび遊び、こんなところでも生きていけるって漠然と感じた記憶が自分にとっての原体験に成っているような気がして。歳とともにそう思う事が年々ふえてきたかな」

2. 地域との繋がり

今年は町内会会計の役割を担う北島さん。小山田地区は高齢化が進む地域で今後役員を担う人数も限られて来るので7年後、北島さんに町内会長の役が廻ってくるのはほぼ決まっているらしい。越して来て4,5年間は避けてたわけではないが町内会に入らず、祭りをきっかけにそろそろかなというタイミングで入ったそう。「地域に受け入れてもらうっていう事は、マンションの引っ越しなんかとは全く違う。入っていく側としてもそういう認識が必要だと思うな」と北島さん。「地域との関わりは押しが強すぎてもだめだと思う。周りはいい人ばかりなんだけど私達は性格的にじっくり時間をかけるしかなかったからね」と潤子さん。 最近は近所の人が「看板もっと出さな、何やっとるかわからんで」と声をかけてくれるようになったとか。
篠山の古民家で暮らしていた頃には近所の電気屋さんとの出会いが。「電気関係の仕事以外でペンキも塗るし、畑もする、猪や鹿も捌く、とにかく何でもする野性的な人だった。確固たる自分があって、家族があって地域がある、それで国があって地球に生きていて。でもまず自分の考えや一番近い家族を大切にしてと順を追って行かないと途中をとばして大層な事はできないっていつも言ってたね」 この方には違う角度からいろんなことを教わったそうだ。

3. 潤子さんから見た淡路島

奥さんの潤子さんとは大学時代の同期。北島さんはプロダクトデザイン、潤子さんはテキスタイルデザインと学部が違うこともあり「大学時代は友達以下だったよね。美術系の大学では斜めから世の中を見るような人が周りには多かったけど、その中でちがった新鮮な印象だったかな」と潤子さん。卒業後、友人の結婚式で再会。当時篠山で古民家暮らしをしていた北島さんから茅葺き屋根と満点の星空が輝く年賀状が潤子さんのもとに届く。都心で大手企業に勤めていた潤子さんはこんな暮らしもできるんだと写真を見てはっとしたそうだ。仕事の依頼をきっかけに篠山を行き来するようになり、半年後に結婚。静岡県出身の潤子さんは「最初は神戸くらいまでならと思って来たけどまさか淡路島に来ることになるとは。ちょっと遠くないかなと言ってみても大丈夫、高速バスもあるからって聞いてもらえなくて。でも住んでみるといい所で、海と山があるのは静岡と少し似てたんです」 結果オーライだったよねと微笑む。「これからは何にも無い状況から仕事を生み出さないと生きていけないと思うんです。私はバブル時代に会社勤めをしてたから、会社なしでは自分は何もできないんだって気づきました。生活から自然と生まれてくるものを仕事にしていきたいと思うけど子育てもあるしなかなか難しくて。産直の野菜なんか見てるとデザインのあり方を考えさせられたりもします。淡路島の人たちはそういうのが上手で、自分で動く力があってすごいですよね。特に30代の人たちが元気があるように思います」

4. 当たり前の事を掘り下げる

インテリア関係の会社に勤めながらバブルの大量消費に疑問を持ち始めていた頃、転勤で渡ったドイツで北島さんはヨーロッパの落ち着いたものづくりに惹かれていった。個人のお客さんに提供するものをじっくり作りたいという思いを胸に、早川謙之輔さんに1年間という約束で弟子入りさせてもらう。「岐阜県の付知町は木の産地で木工は身近なもので、早川さんは毎日淡々とやってきた事を人に認められたという感じの人だった。デザインというところから入った僕にとってはまだ表面的なものしか見えてなかったような気がするな。当時30歳だったけど中学生のガキ扱いで毎日怒鳴られて。休憩時間もずっと一緒で、早川さんからは会話から学ぶ事も多かった。自分にとってはあの1年が貴重な経験だったなと思う」 これだけ出来ればとりあえずスタートは切れるからと早川さんから伝授されたのは刃物の研ぎ方。今、北島さんの工房には細かい部分に合わせて刃物からつくる自作のかんなが並ぶ。 ものづくりについて北島さんは「デザイナーという部分を残しながら、日本独特の刃物仕上げも大切にしていきたいなと思ってる。誰がやっても一緒の仕上がりだと個人でやってる意味がないからね。 木工は木の産地でやるのが本来、だからここで作る意味を深く考えながらバランスを保ってやっていきたい。」と話す。専門書が並ぶ事務所の壁には地図や図面の中に晴雨表も貼ってある。これは木のコンディションを見る為ですかと尋ねると「いや、そんなに深くは使ってなくて、ただなんとなく毎日天気をつけて見てるねん。去年はいつから花粉症が始まったとか、こんなに晴れが 続くとなとか。 別に何の意味も無いねんけどな。ただ何かほんの小さな発見があればね」 北島さんのここ23年の習慣だそう。

5. 何でも遊びに

ギャラリーで取材中もニコニコしながら自転車で往復を繰り返す元気いっぱいの大くん。お兄ちゃんの夏風くんを呼んで来て丸太と廃材の手作りシーソーで遊んだり、段ボールでそり遊びをしたり、野球をしたり、裏山で大きな穴を掘ったり、とにかく遊ぶことに忙しそうだ。 夢はプロ野球選手という大くんは思いっきりバットを振り回していて、いつギャラリーのガラスが割れるかと北島さんはヒヤヒヤしながら見守っている。同じく外で子供達を見守っている愛犬のベルはちょっと北島さん似。工房の窓から裏山を見ると落ち葉のお風呂に入っているようにリラックスした太郎の姿も発見。動物と自然に囲まれて育った夏風くんは野生動物調査員になりたいそう。この辺りは野生動物出る?と聞いてみると「ここは出ないけど、もうちょっと下ったところでたぬきは出るよ」と教えてもらった。

6. リコミンカに一言お願いします!

「古いものも大事にしたいし、無駄に新しいものを作る時代ではないよね。recomincaは移住して来る人がどう生活するかというところに繋がっていく事も大事だと思う。押しつけじゃなくて暮らし方や考え方もじんわり提供できればいいよね。この記事の集積も少しその一端を担えるかもしれませんね。活動として共感して応援したいと思ってます」 帰りに採れたてレモンのお土産もいただきました。

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